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若ちゃんブログ
10月31日「帝釈の網」
八王子南無の会に参加した。 場所は八王子市上野町の金剛院。 今回の講師は駒澤大学名誉教授の奈良康明先生だ。先生のお話を聞くのが今回で3度目になる。初めてお会いしたのがもう10年以上も前になる。 ある上場会社で営業に行き詰まりを感じていた頃、多くの導師にお会いすることができた。ほんとうに有り難いことであった。 これもご縁である。
前半はヴァイオン奏者の原田薫さんによる「幾千の祈り ヴァイオリンで奏でる仏教賛歌」を聞かせていただく。 スリムな身体に真っ赤なドレスをまとい、まるで天から舞い降りてきたかのような天女だ。その旋律は優しさ、思いやり、まごころの大切さを祈りを込めて音に托しているかのようだ。 これから先の試練を包み込んでいただきたく、思わず合掌。
今回の奈良先生のテーマは「慈悲(温かい)の心」 昨年6月に起きた秋葉原の殺傷事件を取上げて加藤という青年の発言「現実の世界では嫌になることがあっても人に話せない。現実の世界から逃げて、ネットの世界に入り込んだ。誰でのいいから、かまって欲しかった。」 現代は「自己愛社会」だという。
「うぬぼれが強くて、自分中心主義で、自分が傷つくのを極度に嫌がる。だから、自分から進んで何かを主張したり、しようとしたりしない。周りを見てみんなが動き出すのを見て、安心してついていく。だからKY(空気読めない)ということになる。」
帝釈天というインドの神が仏教に取り入れられて外護神になり、全世界に大きな網をかけたという。その網目の一つ一つにきらきら光る宝珠(ミラーボール)がぶらさがっている。私ども、犬も猫も、草も木も一つの網目でありミラーボールだと「梵網経」に「帝釈の網」という比喩がある。 これはすべてのものは関係性の中に存在していて関わりあっている。 人間も動物もその他のすべてのものが網という連鎖の輪の中にあるのだ。 人間だからといってむやみに殺生をしてはならない。しかし、何らかの形で他のものの命を奪わなければ生きていくことが出来ないならば、そこには「懺悔と感謝」が生まれてくるという。 それが「慈悲の心」生きよし生きるものへの温かい思いやりである。 今日からでも自分に出来ることから始めよう。 最後に松原泰道先生の言葉をいただいた。 「一人では何もできない。しかしその一人が始めらければ何もできない」
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